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有機農園ファーミン


就農のきっかけ・ポリシー

  現在、私と妻と2人の息子と私の母親と5人で暮らしながら妻と2人で農業を営んでいます。現在、耕作地の内、自己所有の農地はごく一部ですが、農業を始めたこの農地は私の両親が耕していました。しかし、狭い農地とはいえここ十数年、年老いた両親の手が回らず、耕作を外部に委託していました。私はといえば18才の時に現在の土地を離れて上京して以来、長年都会暮らしをしていました。その間地球環境問題には関心がありましたが、その問題の大きさゆえに自分がどう関わっていくか見いだせずにいました。

 1990年に居所を仙台に移し会社勤めをしていましたが、1996年に琉球大学教授、比嘉照夫氏の書物「地球を救う大変革」と出会い、今まで自分にくすぶり続けていた火種に火が着きました。
 「環境問題や食の安全の問題はEMで解決出来る」そう確信出来る肯定的な本でした。EMを使った元気な食物を作ることによって、また食べることによって、多くの人がより良い方向に進むことが出来る・・・食は生命の営みの根源、健全な食べ物でこそ健康を維持し病気を予防する事が出来る。病気になって薬で治すのではなくて、病気にならない体を作る事が真の健康。
 植物も同じ事で、化学的に合成された栄養素ではなくて、大自然の中で微生物が分解した栄養素で育った健康な植物は耐病性にも優れている。引いては自然環境を健全に維持するためには、農地のその広大さゆえ化学物質に頼らない農業を進めて行かなければならない。人類の幸せのためにはその方が合理的な方法と考えました。
 もとより人がやらなさそうな事にこそ全精力を注ぎたくなる、あまのじゃくタイプの私は、これぞ自分のやるべき事と思い込みました。

 1997年頃から実家に通い通い、農地の一部を借りて週末農業(月末農業かもしれません)で、農薬や化学肥料を使わずに米や野菜を出来るだけ自給しようとやってきました。米や野菜作りにある程度自信がついてきますと、今度はいよいよ農業に対する思いを抑えきれなくなり、今度は生産者として農産物を供給しようと考え2004年、就農しました。
 
この先、栽培技術を更新して行こうとも、その動機ゆえ絶対に守って行く事・・・それは大地や植物に農薬や化学肥料は絶対に使わない、栽培で嘘をついたりごまかしたりは絶対にしない。

  私の農業に対する考え方としましては、農地は農民だけのものではなくて、皆の生命を支えるための共有財産で、農民は単なる生産者ではなく広大な農地をどう管理するかによって、環境に大きな影響を与えることを自覚してゆかなければならないものだと思っています。

追記

 2011年3月の福島第一原発の事故により、莫大な量の放射性物質が東日本を中心に広範に飛散しました。ここ宮城県北部にも放射性物質が降下しました。
これにより、当農園では米の安全性に懸念を抱き、事故直後の4月から土壌、稲体、玄米の放射性物質の検査を行ってきました。

 ご購入者様にとって、主食である米をどこから(誰から)購入するかという事は、よく考えられた上での選択だと思われます。
一般に、有機栽培米は一般栽培米と比べ価格が高めになってしまいます。これはコストや手間、収穫量の少なさが要因なのですが、この違いを認めていただくためには、ご購入者様にメリットがなければなりません。
メリットとは、「おいしさ」は勿論のこと、「顔の見える販売」にたとえられますように、誰がどこの田んぼで、どのような栽培で作った米なのかという従来の情報に加え、今回の原発事故での影響はどうなのかという確かな情報をご案内することだと考えております。



有機農園ファーミン
及川 正喜

その昔、登る米が行き来していた大動脈、北上川


   
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