ペルテス病治療日記

はじめに


私たちは宮城在住で、私たち夫婦、長男(現在ペルテス病完治)、次男 の4人家族です。

長男(発症時7歳)が2008年2月に跛行を始め、3月4日にペルテス病と診断され、4月9日に手術し現在(2016年1月)に至るまでの記録です。今後、医療技術が進歩し新しい治療方法ができるかもしれません。
あくまで2008年時点での治療の記録であることとご理解いください。

 私たちはインターネットを通じていろいろな情報を頂き、この治療にたどりつきたました。治療においては情報の必要性を痛感し、新たにペルテス病と診断された方々に、またペルテス病を疑っている方に私たちの経験が少しでも参考になればと思い、手術後間もない時期から息子の完治を祈りながらこの治療日記の作成を始めました。(ペルテス病に関する情報サイトは多いのですが、手術に関する情報は意外と少ないんです)。個人によって症状の出方が違いますのであくまで一例であることをご理解ください。夫婦で筆者がたまに替わりますので文体が変わり読みにくいかもしれませんが、ご了承ください。




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2008.2月はじめ 
跛行の始まり
 跛行(びっこをひく歩き方)を始めるようになりましたが、遊んでいて足に強い衝撃を受けた直後なのでそれが原因と思いそのままにしていました。
 
足首を痛がっていた
2008.2.8 
外科医へ
 1週間程たって跛行が治らないため近くの「外科」に行き診察をうけました。触診で問題が無いので膝に電気をあて塗り薬をもらいました。

2008.2.15 
整形外科へ
 足の引きずり(跛行)が治らないので、レントゲンを撮ってほしくて、今度は近くの整形外科へ行く。歩く状況をみたり、寝させて足の開き具合を見たりして、結局子供のいう膝が痛いと言う話にしたがって膝のレントゲンをとる。問題なし。先生は、99・9%違うだろうけど、稀に股関節の病気ということがあるので、引きずりが治らなかったらまたおいでと言われる。もう2週間近く引きずっているけど、いつまで待てばいいのかと聞いたところ、気長に。。。と言われる。

特に痛みはなし
2008.2月中旬 
軽く考えて・・・
 「医者に診てもらって問題ないのだから癖になっているのだろう。左足(ペルテスの方)をちゃんと上げて歩きなさい」と促す。学校にも跛行しながら登校させていました。

後で気付いたのですが、ペルテス病の方の足は股関節の動きが悪くなるので骨盤から動かします。
2008.3.3夜 
異常に気づく
 あまりに長い間跛行が治らないのでおかしいと思い、息子の足をじっくりと観察しました。観察し始めて間もなく、座って足を伸ばした状態で右足と左足の長さが違うのに気が付きました(左が右よりも1〜2cm長い)。また、そのまま膝をかかえると股下から膝までの長さも違いました(これも左が右よりも1〜2cm長い)。即座に妻と2人で手分けしてインターネットで「びっこをひく」「足の長さが違う」などのキーワードで検索して出てきた情報の一つに「ペルテス病」がありました。次に「ペルテス病」のキーワードで検索し、経過、症状について調べました。多くの部分で息子のそれと一致しました。当初調べた情報では対象年齢の2万人に一人の割合で発症とのことでしたのでまだ半信半疑で、そうでない事を祈りました。その夜は朝方まで「ペルテス病」やその他の可能性をネットで探りました。「ペルテス病」だとすれば股関節の動きが悪いはず。

これも後で気付いたのですが、ペルテス病の方の足(左)が長かったのは、股関節の動きが悪く骨盤から動かす為、前にせり出て長く見えたのではないかと思います。
2008.3.4 
ペルテス病が確定
 朝、息子が起きるのを待って一番で股関節の動きのチェックをしました。右足は軽快に動きましたが左足は動かそうとすると骨盤から動きました。骨盤の動く範囲なら曲げても痛みを訴えませんでした。疑念は確信に変化しました。県内で一番著名な「ペルテス病」治療の医療機関に電話してその日の午前の診察に入れてもらい、車を飛ばしました。股関節のレントゲンを撮りました。「ペルテス病で間違いありません」。

 まだ大腿骨の骨頭は潰れていないが、すが入ったみたいな感じで、骨はしんでいるとのこと。この医療機関では、手術や通院の治療はおこなっておらず、入院して治療してもらうことになる。期間は約3年くらい。ペルテス専用の足の開く車椅子にずっと乗ることになる。併設している養護学校に転校し、入院しながら治療する。時期は早いほうがよく、ここに決めるなら来週くらいに入院したほうがいいと思う。。。。

 昨夜、いろいろ調べている内に「ペルテス病」の治療方法には装具療法と手術療法があるのを知りましたので、 あらゆる可能性で検討したいので他の専門医も知っている限り紹介してもらいたい旨、先生にお願いしたところ、宮城では他に仙台に国立の病院があるが、その先生は前は手術もしたらしいけど、今手術をするかどうか。。。ということでしたが、紹介状を書いてもらって、レントゲンをあずからせてもらう(結局、こちらの病院には行きませんでした)。他に手術のできるところはと聞くと、東北では良くわからない、関東になるでしょうとのこと。先生の説明を聞きながら涙が止まらない。

 午後、ソシアルワーカーに案内してもらい学校を見学する。
 大きな机。人数は一クラス5人。もしここに入れば、勉強面では遅れないように面倒は見てもらえる。。。生活している病室も見せてもらう。同じくらいの男の子たちがゲームで遊んでいる。ペルテス車にのってる。もう一人は、最近ペルテス車を卒業して、松葉杖と足の装具になったとのこと。看護婦さんに聞くと、3年未満で退院は滅多にいない、ほとんど3年超えるとのこと。毎週必ず親が迎えに来て、週末は家に帰る。日曜の夜にまた病院に送ってくる。必ず毎週。学校はよく勉強を教えてくれるだろう。看護婦さんたちもよく面倒をみてくれるだろう。でもそれを知った上でも、私たち夫婦にはその心理的障壁は高い。

 
 夫と2人でそれぞれネットでペルテスのことを調べる。とりあえず、ペルテスの情報「ペルテス病の治療」を詳しくHPにアップし、メールでの問い合わせにもすぐ返事をくれる鈴木先生にメールを出す。状況を説明し、宮城近県に手術の可能な専門医はいないでしょうかと問い合わせる。先生のhpをよめば読むほど、手術をしたくなる。7歳くらいになってくると、装具療法での結果は、良好が64パーセントくらいとのこと。手術はほぼ100パーセント成功、期間も短く、転校も不要、治りも早い。読めば読むほど手術をしてほしい。滋賀だと思っていた鈴木先生は、よく読んだら今は東京の水野病院にいるとのこと。もうこうなれば、とにかく先生の診断を受けたい。先生の病院のHPを確認したところ、新患は金曜日のみとのこと。また、予約受付は、午後の2時から4時に電話するとのこと。明日の予約開始と同時に電話してみよう。。。。。




















2008.3.5 
セカンドオピニオン
 とりあえず、ほんとうであれば子供が小学校に行く時間なので、小学校に病気である旨を話しに行く。校長先生、教頭先生、担任の先生にペルテス病であることを話し、親としては、養護学校への転校でなく、ここに通いながら、手術なり、通院治療なり、別の方法を希望している。まず、昨日病気がわかり、まだどの治療を受けるか決まっておらず、できるだけいろいろ検討したいので、病院めぐりのため、数日学校を休ませたいと話す。その結果、手術になるのか装具になるのかわからないけど、養護学校への転校は最終手段と考えていると伝える。車椅子や松葉杖、装具の装着などの場合があるかもしれないが、できるだけこちらで受け入れてほしい旨話す。とにかく治療法を探して、子供にとって一番良いようにと返事を頂く。車椅子とか松葉杖とかは問題ないだろうけど、状況しだいで、学校にも必要な措置がなにか出るかも知れないので、そのときは市とも相談しなければ、、、とにかく、よく病院を探してと言うことで返事を頂く。

 市に、障害者の認定にはならないのかと聞きにいく。障害者の認定にはならないが育成医療の適用にはなるということで、書類を保健所からもらう。夫は朝から各地の病院に電話をかけて、ペルテスの治療の話を聞く。大体どこでも、「場合によって手術もするけど」的な返事らしい。宮城を含め、東北では、ペルテスの場合は大体装具療法で、まず手術と言うことはほとんどないようだ。
子供用の車椅子のレンタルを申し込む。もう歩かせて衝撃をあたえたくない。

 水野病院に予約の電話を入れる。今週の金曜日と希望を言ったところ、予約で一杯みたいな感じだったが、ペルテス病と診断されて、どうしても鈴木先生の診察を受けたいと話したところ、今週金曜の予約に入れてくれた。木曜日のうちに東京に行き、金曜日の診察を待つことにする。インターネット時代に感謝する。症状をネット検索してペルテス病と判明し、ネットを探し回って治療法を知り、数少ない専門医の中でもすばらしい先生にすぐたどり着くことができ、希望が見えてくる。

 鈴木先生からメールの返信が届く。本当にすぐ返事をくれて、とても信頼ができる。やはり、東北ではバリバリ手術して実績のある先生はいないようで、関東で探したほうが良いでしょう、セカンドオピニオンをという返答。先生の病院の予約をさせてもらい、金曜日に行くので、よろしくお願いしますという旨の返事をする。本当に嬉しい。


2008.3.6 
東京ヘ
 次男も保育所を休ませみんなで東京へ。発覚時に比べて気分はものすごく軽くなってきた。とにかく、手術をたくさんなさっている先生に見せて、この子も手術で問題なしとの診断がでれば、その場でお願いしたい。

2008.3.7 
手術の決断
 前日お姉さんのお宅に泊めてもらい、11時少し過ぎくらいに病院に着く。受付を済せ、診察を待ち、ついに診察。先生はすぐ「メール頂いた人?」と聞いてくれて嬉しくなる。2月頭からの状況を説明し、持参のレントゲンを見てもらう。やはり、東北(全国的にも)は装具療法のほうが主流で、それはそれでひとつの確立した方法ではあるけど、世界的な流れは手術で、結果も100パーセント近く良好、治りも早く、期間的にも、最初2週間の牽引、手術後は6週ぐらいで退院(後述:実際には1週くらいで退院、その後3週は自宅で過ごし再々入院後3週間程で完全退院)、その後は月1回位の通院でOKとのこと。どの治療法を選ぶかは、本人と家族の決断しだい。足の開き具合を見てもらう。開くときに、先生はすぐ外角何度内角何度と次々開き加減を分度器なしで測定し、「超プロの技、、、」と私と夫目を丸くする。

 先生が他の電話に出ている間に夫と、「先生にお願いしよう!」と意見をまとめ、是非手術をしていただきたい旨お願いし、入院は一杯だったけど、何とか3月17日の入院の予約を入れてくださった。2週間の牽引で、終わったら一旦退院、予定が取れ次第手術をしてもらうということにした。入院の説明など受けるのに時間がかかるので、昼も過ぎていることだし、近くのファミレスを教えてもらって、昼ごはんにする。午後病院に戻り入院の説明を聞く。遠くから来ているから、会計も早めにねと看護婦さんが気遣ってくれてありがたい。

 いつもなら長い時間高速道路を走っていると、すぐ寝てしまう私も、今日は眠らない。本当に嬉しい。夏ぐらいまでは子供は同じ姿に戻れると思う。松葉杖くらいはあるが、それぐらい、なんてことない。
院内学級などはないので、純粋に学校は休学となるが、受験生とかではないんだから、小学校2年生なんだから、子供と2人で教科書見て勉強すればいい。

レントゲン写真は息子の被曝を最小限に抑えるため、3月4日の医療機関から借りて持参しました。
診察の際、寝た状態で膝をお腹の方へ曲げてさらに内側に曲げると痛みました。たいして痛みが無くてもこの位置では痛むはずと先生もいっておられました。


2008.3.8
 牽引入院まで間があるし、来週一週間は学校に通わせることにする。車椅子をすこし改造して、机になる板を取り付けて、勉強や給食に問題がないようにする。
 担任の先生に電話をし、手術をすること。2−3ヶ月東京に入院治療するこ
と、とりあえず来週は車椅子で学校に行くことを話し、すみませんが面倒見ていただければとお願いすると、心配要りません、大丈夫ですよと返事をくれる。有難うございます。夫が車椅子用に、トイレに手すりをつけてくれる。松葉杖を購入。


手術後のリハビリがスムーズに行くように手術前に松葉杖を使える様にしておくと良い。練習は牽引の時、リハビリトレーナーが指導してくれます。
2008.3.9
 手術を受け、予後良いように体操や対応を覚えることになる。火曜日に受けた悲しみは、今は大分軽減された。先が見えるようになった。
 皆さんがHPでいろいろな情報を公開してくれたおかげで、子供の病気を見つけ、治療法を検討し、最終的に主治医を決めるところまで来た。そのことにとても感謝し、我が家もいつの日かこの記録を公開することで、ある日突然ペルテス病の診断を受けたご家族への、ささやかな情報の提供になればと思います。


2008.3.10
 朝早くから小学校に行き、車椅子で大丈夫かどうか動いてみる。校長、教頭、担任の先生達に今後の予定を話し、院内学級はないので、できるだけ自分たちで勉強して遅れないようにする旨話す。快く引き受けてくれる。

2008.3.11
車椅子で・・・
 車椅子学校2日目。何とかなっているようだ。でも皆やっぱり珍しいようで、周りに人が集まってくる。朝も帰りも先生が玄関で迎えてくれ、手伝ってくれる。友達もかばんや荷物を持ってくれる。皆挨拶もしてくれる。有難う。やはりいろいろつらいらしい。子供は夜寝るとき、寝ぼけながら突然泣き出す。「痛い」と泣くが、すぐなんでもないと寝てしまう。私たちも心が痛い。何とかしてあげたい。直接泣かないからもっとつらい。早く治してあげたい。

2008.3.14
1年生最後の登校
 明日から牽引のために入院するので1年生最後の登校。迎えにいくと、帰りの会の声が聞こえてきて、クラスのみんなで「頑張ってね!」といってくれる声が聞こえてくる。みんな車に荷物を積むのを手伝ってくれる。皆ありがとう。2年生になってもよろしくね。

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