ペルテス病治療日記

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2008.8.14
帰省
お盆の帰省。秋田の実家に帰る。
もう93歳になる曾祖母は、また松葉杖をしてきたので、まだ治らないのかなと気を揉んでいる。
もうちょっと時間がかかるけど、ちゃんと治るから、大丈夫だよ。ひいばあちゃん。人生が90年だったら、一年はあっという間。。。。。まだ7歳だから、一年は長すぎだけど、90歳になったときには、「すぎちゃったらあっという間」と思えると思うんだけど。今年は秋田も例年より涼しい感じだ。宮城も涼しい。それもいい。早く秋になって、早く冬になって、早く治りたいもんだ。


2008.8.29
通院日
水野病院定期通院日。
今回も高速バス&新幹線での母子2人旅。朝7時には病院に到着してしまい、子供はDS三昧。親はテレビを見たり、本を読んだり、待合室の他の方と世間話をしたり。。。。今日の診察は、9月の抜釘手術の為の前検査なので、先生の診察の前に、検査室で心電図や採血や排気量のチェック、胸のレントゲン、血の止まる時間のチェックと、検査が続く。その検査結果をもって診察を受ける。
問題なしとのことで、9月10日の手術も無事受けられることになった。凄くホッとする。そして、ワクワクする。
普通、小学校低学年くらいは、採血など、騒ぐらしい。でもうちの子は注射も耳を切るのもおとなしくじっとしている。看護婦さんや技師さんたちに「すごいねー強いねー」とこっそり言われる。我慢強い。親は点滴をするときも「いででで」とつぶやいてしまうのに、
私に似ず立派な長男です。だから、手術を真っ先に考えたのかも。
手術ということ自体に強い抵抗を示すお子さんも多いはずだが、それがなかったのは本当に有難いことだった。
このHPを読んでくださった方ともお会いでき、かなり楽しい定期健診でした。
入院中は出来なかった、同じ病気の仲間と出会え、HPを作ってよかったと思う。
最近はペルテスの入院患者も多いようで、我が家の時だけたまたまうち一人だったのかもしれない。なんにしろ、夏休みの水野病院小児整形外科は、子供で一杯だったそうです。帰り道、宮城にもあるのに、東京でもかっぱ寿司に入ってしまった。
バリエーションに乏しい我が家。ま、子供が喜べばそれでいい。
次はいよいよ手術。早く足のレントゲンを見たい。再生は進んでいるのだろうか。
回復は順調なのだろうか。。。。骨丸いかな。。。

2008
誕生日
長男誕生日。8歳になる。おめでとう!!!!プレゼントは前からねだられていたDSのマリオパーティ。入院時には暇つぶしに活躍しそう。
ケーキも焼肉もあまり目に入らず、DSに一生懸命な誕生日でした。
生まれたときは生まれてくれたということだけで感謝で一杯だった。でも、人間はだんだん欲張りになる。元気でとか、健康でとか、思いっきり願ってしまう。
早く骨が再生しますように。松葉杖が取れますように。将来足に影響が残りませんように。早く、普通の学校生活を送れる日が来ますように。。。。。彼にとって、マイナスだけの日々ではありませんように。
松葉杖がとれたら、自転車をプレゼントしよう。
家族になってくれて有難う。


2008.9.9
抜釘入院
 水野病院抜釘手術入院。今回はお気軽とのことで、こちらも心配より、嬉しさが先。
これで入院も手術も全て終わりで、後は骨の再生を待つだけと思うと、楽しい。
明日手術を受けるのは息子を入れて3人。1人はペルテスの手術の方で、同じ病気の話をできるのが嬉しい。もう1人は5年生のお兄ちゃんで、一緒にDSをして貰ったりした。熱や血圧を測って体調を調べる程度で、明日の手術に備える。


2008.9.10
手術
手術日。うちは2番目で、12時頃からの予定。子供はどきどきして間が持たないらしく、あっちに散歩。こっちに散歩。お腹はすくし、のどは渇く。でも我慢。
 突然、宮城にいるはずの夫と次男が病院にやってくる。驚かそうと思って内緒でやってきたとのこと。ビックリした。簡単な手術なので、問題ないんですけど。。。と思いながらも、子供もやっぱり嬉しそう。
 11時50分に手術室前まで、自分の松葉杖で行き、その後は抱っこされて手術室に入る。一時間程度の予定ということで、親もどきどきしながら待つ。12時40分頃、あっという間にかえってくる。目を開けて、こっちをみてる。・・・わかるみたい。麻酔の先生の話では、前回よりかなり軽い麻酔なので、さめるのも早いし、水とか飲めるのも早いらしい。手術も抜くだけのものなので、切り傷みたいなもので、そんなに痛まないはずとのことで、確かに意識はかなりはっきりしているよう。
「大丈夫??」と声をかけると頷く。前の時のように痛々しさはなく、こっちも「良かったね〜やっととれたね〜」という気分。抜いてもらった金具を渡される。ホームセンターで売っているような、留め金とビス。きれい。日曜大工で使えそう。これが入ってたのかと皆でしみじみ見つめる。レントゲン写真を見ると、確かに同じ形のが写っていて、ああ、これがこうなっていたのねと今頃になって理解。お茶を少し口に入れるが、今回ももどすことなくクリア。少しずつお茶で口を潤す。
 夕方、3人目の手術を終えた鈴木先生が、部屋まで来てくれる。「2.5センチしか切ってないから、傷口小さいから、経過は良いと思うよ」と、いつも通りの口調で凄いことをサラッと言って下さる。2.5センチのカットで、どうやってこの2.5センチ以上ある金具のネジを外して抜けるのか、よくわからないが、別にわからなくてもいい。小さな手術も出来るだけ患者に良いようにやって下さって感謝。おかげで、麻酔が切れても、いたくない。熱も出ない。術後にとったレントゲンを見せて頂くと、骨頭の両側の方の再生は大分進んでいた。でも真ん中の方はまだで、「ここはこれからもっと丸く新しい骨が出来ていくから大丈夫」と説明を頂いた。骨頭の半分くらいはまだこれから。まだ先は長い。骨頭の順調な再生を喜ぶと同時に、まだ全部再生しないという悲しさがある。「すごくいいよ、お母さん」と言われると、「えー!!良いですか!もう歩けます?!!!!」みたいな気分になってしまったが、まだまだ当分松葉杖。しかたない。頑張ろう。それは分かっていたことだし、3年が1年になるのだから、2年分の時間を儲けたも同じ。金具を抜き、骨頭の再生を待つのみになった長男の今までの頑張りを褒めたい。泣かずに、逃げずに、不平を言わずに、よく頑張ったね。とても強くて格好良かったよ。


2008.9.11
退院
 結局朝までずっと点滴がついていて、その点は本手術の時と同じだった。
体調はよく、元気。朝食まで待てずに、コンビニからおにぎりや唐揚げやサンドイッチを買ってきて食べる。昨日術後食という夕ご飯は出たが、大嫌いなおかゆだったため、食べられなかった。なので、朝から食べまくる。
今日はもう退院日。これで最後。朝から帰り支度をし、精算もさっさと済ませ、先生の「大丈夫だね」の一言を頂いて、無事退院となる。
本当に有り難うございました。おかげで、彼の人生はかなり救われたと思います。
私たち親の気持ちも本当に救われました。このまま順調に回復するよう、家でもペルテス体操をして完全に再生するまで頑張ります。
宮城までまたもや高速で5−6時間のドライブ。それもまた家族みんななら小旅行。
次は一週間後に傷口チェックと言われたが、所用のため9月26日にしてもらう。
それまでは傷口を濡らさないよう、ビニールとかでカバーすればシャワーもOKとのこと。
といわれても、傷口が開いたりするのが怖いので、2−3日は安静にして、シャワーも控えよう。軽いとはいえ手術をしたと思うと、歩き回っているだけで親はドキドキする。頼むから寝ててという気分。


2008.9.26
通院日
通院日。今月は学校も休みがち。又バスで東京まで来たので、朝7時半には水野病院着。
つい先日来たばかりなので、子供もつまらなくなってきたようだ。
コンビニで「人生ゲーム」を買い、2人でプレイ。大受け。
傷口は大変キレイで、足の動きも問題なし。
前回レントゲンを撮ったばかりなので、今回は無し。
次回の受診は親の仕事が立て込んでいるので、11月末の予定。
時間があいてしまうので、その間悪くならないようペルテス体操に励まなければ。

2008.10.5
ペルテス体操をした後足を揉む。ほぼ毎日。当然だが、元気な方の足も疲れるし、使えない足の筋肉も鈍る。右と左の肉付きの差はくっきりしている。
頑張っている右足。柔らかい左足。早く両方同じになりますように。
時々HPを見て下さった方からメールを頂く。有り難うございます。
病気の話をする相手は身近には限られているし、実際に自分の子供が
そうなったのとそうでないのとでは、話せる内容が違ってくるので、同じ立場で話が出来るのはとても嬉しい。 又実際お会いできたりもしたので、そうなると尚嬉しい。お互い完治を目指して頑張りましょう。


2008.11.19
手術後のギブス期間中のトイレ・洗髪用自作ベッド(自家製:左足ペルテス用)。
夫手作りの介護用簡易ベットです。手術後のギブスで体の自由がない期間、洗髪とトイレに行くときに使用しました。洗髪時は、このベットに乗せてお風呂場まで行き、シャワーで洗髪しました。また、トイレは小用の時は溲瓶でしたが、大の時はベットに乗せてトイレの中まで移動させてトイレで用がたせます。
ギブス期間中の生活にあると便利でした。

使用時にはベッドの上面に厚めの発泡スチロールをのせ、その上にマットを敷いて使用していました。

もし参考になればと思い、紹介いたします。


クリックで詳細
2008.11.28
水野病院定期通院日
 久しぶりに家族4人での東京行き。
10.11月は仕事が最盛期で大忙しだったので、通院も少しご無沙汰だったが、そろそろ骨は出来ただろうかと、期待一杯。渋滞に巻き込まれ、少し時間に遅れるが、先生の診察も相変わらずの大混雑で、どっちにしろ待つことに。前に入院時に一緒だった方にお逢いでき、話が出来て凄く落ちつく。病状を話し合って、同じレベルで理解して頂けるのが何より嬉しい。いろいろ知らない話も教えて貰える。
 診察は今回も足の開き具合のチェック。動きは大変良いと言って頂く。左と右の足の長さの差は現在1.5センチ。早く縮まるといいなあ。その後レントゲン撮影。先生のコメントは「すごくいいよお母さん!」ああああ「もう荷重できます!???」とやはり思ってしまう。「2枚のレントゲンのどちらの角度の骨も丸く綺麗に写っているからすごくいいよ。角度が違っても丸いのが重要なんだよ。全体がちゃんと丸いんだよ。再生早いね。前はここがまだだったけど、今回は新しい骨がうっすらと写っている。荷重を考えていくけど、今回はもうちょっと早いから、骨がもう少し頑丈になってからだから一ヶ月後だね。」そんな感じの先生の診察結果。ザ、残念。。。。ダメでした。。。。そろそろ骨は出来た頃かなと期待して、期待通り出来てはいたが、出来たてでした。。。。ということで、荷重はお預け。でも、骨が丸く美しく再生されていたことは本当に嬉しい。毎日ペルテス体操をして、子供が一生懸命頑張ってきた結果が出たと思うと、とても嬉しい。もうちょっと。来月の月末の通院予約をいれ、病院を後にする。待っているときに聞いた話では、荷重も少しずつするので、2−3ヶ月はかかるらしいよとのことだった。何とか3年生になる前に松葉杖が取れるだろうか。3年生の教室は2階。新学期には元の姿に戻りたい。毎日階段の上り下り、松葉杖があると無しでは天地の差だ。
 病気発覚から間もなく9ヶ月。手術から7ヶ月と20日。本当に再生した。まだ再生したてで、まだ荷重許可は出ないが、丸い骨が本当に出来上がった。将来障害は残らない、あるいは発現しないと思って良いのだろうか。その確率が格段に高まったと思って良いのだろうか。ペルテスの治療の最終目標は、丸い骨頭を手に入れること。その目標が今かないつつある。それだけを願って、東京まで来た。好きな人なんかいるはずのない手術を7才の子供に勧め、遠い東京まで何往復もして、子供にとってもかなりの負担だったろう。でも、多分これまでの治療はこの子にとって、最良だったのだと思う。まだまだ完全ではない。出来たての柔らかい骨が立派な骨になるまで、もう少し。来月が待ち遠しい。早く来年になって欲しい。
今回は家族旅行も兼ねて、その後は温泉に泊まり、遊園地にも行った。子供は楽しかったようで、学校に自主勉強として提出する日記を、10ページも書いた。病院に行ったことも、骨が丸かったことも、何を食べたかも、全部書いた。最後の感想は「疲れたけど楽しかったです」でした。



写真の左側は正常な右足、右側(左足)が手術した方。骨頭部が大分白くなっています。まだ完全な形ではありませんが経過は良好。左足に負担を掛けないように左の腰を常に上げているため、この角度で固まっていますが、足に加重できる様になれば腰も水平になるはず。
2008.12.29
水野病院定期通院日
本当は26日に予約を入れていたのだが、20日頃から家族みんなで次々インフルエンザにかかり、予約変更をした。
到着すると3組の同室だった方にお会いでき、近況などを話しながら楽しく過ごす。
今回は荷重診断をするためMRIを撮影。
結果は、写真のうち3枚ほど、骨の再生状態が不十分な写真があり、今回は荷重は見送りとなる。もの凄く期待して来ただけに、残念。でも実際に写真を見て骨の様子をみると、今焦って無理な荷重をして骨を痛めるより、このまま待つのが当然の判断。
まだ手術して8ヶ月。急ぐことはない。
一番重要なのは完全な状態にもっていくことなので、もうちょっとこのまま頑張ろう。先生の予想では「あと2ヶ月くらいかな?」・・・・・やっぱり待ち遠しい。。。。。。。

我が家はまだ松葉杖だが、入院時同室だった方々は皆さん股関節脱臼なので、松葉杖もなく、ちょっと羨ましい。みんな順調に回復しているようで安心する。

帰り道、長い。東京から宮城まで、あと何往復するのだろうか。
東京で治療することを決めたとき、先を考えるともの凄く大変な気がした。
でも何とかなるものだ。楽しいこともあったし、そのまま旅行したこともあった。
この先も後何度か分からないけど、「完治」と言って貰えるまで頑張ろう。

2009.3.2
水野病院定期通院日
今日は午後からの診察なので、午前中はポケモンセンターへ。
ピカチューに会えたり、買い物したりと子供達も大喜びで楽しい東京旅行となる。
午後から所用があり、病院へは夫と子供達だけで診察に向かう。丁度診察が終わった頃にやっと病院に着いたら、今回もレントゲンの結果、荷重は見送りとのこと。残念。。。
まだ骨の上の方が新しく柔らかいらしい。もうこうなったら、カルシウム食事にして、骨になりそうなもの一杯食べさせよう作戦を決行すると決める。


2009.3月
カルシウム
何に入っているか、考えてみると、やはりシラスかなと思う。他にも骨ごと食べられる魚の缶詰とか昆布煮とか買ってみる。今までの食事には明らかにこれらの選択は無かった。骨がしっかりしてこないのは親の食事作りのせいかもと反省。子供もしょうがなくシラスを食べる。納豆の骨元気も。昆布煮も好きといって食べる。調べると、昆布はカルシウム豊富で、ラッキー。シラスもそのままばかりだと飽きるので、天ぷらやふりかけやスープにもしたが、これは受けが悪い。わかめとシラスの青じそドレッシングが気に入ってくれたので、しつこく出す。ちなみに牛乳はあまり骨には良くないと思っているので、これは却下。魚の骨をかりかりに焼いて骨せんべいにしたのも、上手くできると食べる。「これ骨になる??」と確認しながら。きっとなる。はず。
結果がでるといいなあ。


2009.4.6
水野病院定期通院日
午後4時からの予約。新学期前ということで鈴木先生大混雑。
こちらも待ちを覚悟。今回は足の動きの観察だけで、残念ながらレントゲンもMRIもなし。次回5月11日にMRIを撮る予約を入れる。
鈴木先生が最近出た海外の論文の話をしてくれた。曰く、「ペルテスの治療に装具療法は行うべきではない」という内容だそうで、装具の難しさ、そして、良い手術療法の治療成績の良さについての論文だそうで、水野病院においても全く同じで手術の成果が大変良いということを話されました。その結果の通り、我が子の治療終了時も問題なく完治ということになって欲しい。


2009.4.8
新学期始まる
次男も小学校入学で、我が家はバタバタ大忙し。3年になったので、教室が1階から2階へと移動となる。2カ所ある階段は、奥の方にしか手すりをつけていない。2階のトイレにも手すりがない。6日の通院で多少の荷重許可が出るのではと期待していたので、事前に依頼をしていなかったが、もう暫く松葉杖生活が続くことが決まり、一応手すりをつけて欲しい旨学校にお願いする。
担任の先生にも挨拶して色々お話ししなければと思うが、今日のメインは次男の方なので、話が出来なかった。明日にしよう。


2009.5.12
3分の1荷重開始
水野病院定期通院日。
11日の予定だったが、こちらの都合で12日に変更してもらった。
MRIをしてから先生の診察。
先生はMRIの写真を見て、「いいよ〜大分できたよ〜」
と嬉しいコメント。レントゲンも撮って、それを診てもらい、
「よし、3分の1荷重しよう」と、ついに荷重許可がでる。
ところで、実際にはどうしたら良いんでしょう??
と聞いたところ、体重計で体重の3分の1、
うちの子の場合10キロまで荷重OKなので、10キロの感覚をつかむように
体重計で10キロ分まで左足に体重をかけてみる。
何しろ昨年3月以来、ずっと左足は荷重していない。
子供は怖がって足に体重をなかなかかけようとしないが、
体重計を見ながら「もっと体重かけて!」と足をつくよう促す。
帰り道、「足ついて良いんだよ。」といくら言っても
今までのように左はつこうとしない。「いきなりそんなこといわれてもなあ」
と、1年2ヶ月のブランクは大きかった。
帰り道に新しい体重計を買う。何度でも計ってやる。
嬉しい。骨が出来て嬉しい。丸くて嬉しい。もうちょっと。先が見えるのは嬉しい。
次回は1ヶ月後。待ち遠しい。
前回シラスをネットショップでまとめ買いしていたが、無くなったので、
また山ほど買おう。カルシウム摂取生活はまだまだ続けなければ。



MRI。向かって右側が左足の骨頭部の中心部の写真です。中心部以外はまだ完全ではありませんが、中心部ではかなり骨が再生しています。驚きました。
2009.6.9
2分の1荷重開始
水野病院定期通院日。
久しぶりに母子2人での東京。今日はそれほど混み合っていない。
すぐ診察の順番が回ってきた。
歩き方を見て、足の開き具合の測定。2分の1荷重許可がでる。
1人でのプールも自転車もOK。松葉杖なしの直立OK。本当に嬉しい。
次も1ヶ月後。次が楽しみ。新幹線で帰ったが、10時には病院を出て、家に着いたのは3時。やはり東京は遠い。
 水野病院で会った方と偶然帰りの電車が一緒で、お話をさせて頂く。
ちょっと難しい病気で、かれこれ10年鈴木先生の治療を受けているとのこと。
私は一年3ヶ月でも充分長く感じていた。でももっと大変な状況の方は沢山いて、
皆さん完治を信じて頑張っていると思うと、なんか泣けてきた。言葉に表すのが難しい。
帰宅後早速自転車を乗り回している。16ヶ月ぶりの自転車。もちろん、小さくなってしまっている。新しいのを買おう。早く。明日にでも。
ちなみに、車いすの場合、電車に乗るときには駅員さんが先導してくれて、エレベーターの準備や、乗り込むとき段差がないように板を準備してサポートしてくれる。到着駅でも駅員が乗り込んだ車両前で待ちかまえていて、同じようにサポートしてくれる。
車いすでどうしようということはないので、車いすだろうどんどん外出しましょう。



先日行われた小学校の運動会。息子はまだ競技には出ませんでしたが、一生懸命赤チームを応援していました。
2009.6.10
 5月28日から学校の担任の先生が変わった。ご家庭の事情で暫く休職して復帰したのだ。まだお会いしたことが無かったので、病院の報告を兼ねて会いに行く。優しそうな女性の先生で、今回も話しやすそうな方が担任になって下さって、ホッとする。
今までの経過も前担任の先生や教頭先生から聞いているようで、何も問題はなさそう。
クラスのみんなもいつもさりげなく、優しく、力を貸してくれてくれているようで本当に有り難い。恵まれた環境にあることに感謝する。先生といろいろ話をするうちに、病気の事と今までの事をいろいろ思い出し、どうしようもなく泣けてきた。悲しかったのか、悔しかったのか。可哀想だったのか。あるいは、みんなの優しさを貰って有難かったのか。思い出すのは、病気発覚当初、子供が昼ではなく夜寝付いてから泣く日があったことだ。彼の苦しみや痛みは、心の中は多少は癒えたのだろうか。
 祖父母がどうしてもというので、有難く自転車を買って頂く。24型6段変速。自宅に帰ると同時に早速乗り回している。当たり前の光景だけど、我が家にとってはもの凄く素晴らしい光景。彼には松葉杖はまだついているけど、毎日普通に学校に行き、勉強し、友達と笑いあって、家では弟と戦い、遊んで、ごく普通に過ごしています。


2009.7.7
3分の2荷重開始
 水野病院定期通院日。診察室にはいると、先生から、「いよいよだね〜」と言われた。
その後には「いよいよ三分の二だね」と続いた。。。。。
「先生、いよいよと言うから、親としては全荷重OK!!って妄想が膨らんだんですけど。。。。。」と言ったら、笑って、「お母さん、そりゃ妄想だ。まだだよ。」とサラッと流されてしまいました。レントゲンを撮って、三分の二荷重OKとなり、松葉杖は一つとれた。松葉一本はまだ慣れないが、階段やエスカレーターの時には具合がいい。
抜釘入院していたときに本手術をした女の子のお母さんとお会いできた。なんと、もう松葉は一本で、半荷重とのこと。やはり年齢やその人の性格、病状によって進み具合は変わるんだなと実感。ちょっと羨ましかったが、我が家は我が家のペースで行くしかないので、頑張ろう。同じ病気の仲間と会え、お互い順調に回復していることを知るのは嬉しいことだ。次も頑張って東京に来よう。松葉杖もかなりボロボロになったので、新調が必要になる前に、松葉杖が取れると良いな。
電車で、松葉杖をしていると、同じように障害を持った方が話しかけてくれた。
戦争に行って、爆風に遭い、片耳が全く聞こえず、足と肩にボルトが入っているそうだ。
でも、とても気さくで、温かく、格好良く、障害など何の関係も無く前を見ていた。そして押しつけがましくも無かった。何があったかではないのだ。どう受け止め、消化して、次にどうするかなのだと思った。


2009.8.3
ついに全荷重OK
 水野病院定期通院日。夏休みに入ったので、久しぶりに次男も連れて家族4人で来た。早く東京に着いたので、舎人公園で暫く遊んでから病院に行く。今回も知り合いと話が出来て、とても嬉しい。お互い順調に回復しているようで、一番辛い時期を通り過ぎたので、気持ちも明るい。そして、なにより、松葉杖が取れました!嬉しい!!ジャンプや走ったりすること、体育などは今まで通り禁止だけど、両手を自由に、両足を普通に使えるようになりました。
凄い嬉しそう。こっちも松葉に慣れきっていたので、「松葉杖使って!」と怒らないように注意が必要になった。松葉の無い姿の方が見慣れないなんて・・・・・
まだ通院も運動制限も続いているけど、大きな重荷は取れたような気がします。

2009.12.28
ほぼ運動制限なしに
父親です。
8月の次に10月の通院を経て本日、水野病院に行ってまいりました。
息子の足に異変を感じてから2年弱。本日やっと運動制限が無くなりました。(特に激しい運動はまだ控えた方が良いようですが)学校での体育の時間もみんなと一緒に運動が出来る訳です。鈴木先生に「ゆるやかなスロープでスキーなどさせてもよいのですか」と聞きましたら「OKですよ」とも言われました。
ペルテス病としては高齢発症の方ですが水野病院で、鈴木先生の手術で以前の活発な息子に戻してもらいました。そして、このページをご覧になってメールを下さった方々、病院で同時期を過ごした方々、家族、親戚、友人・・・みんなの支えで・・・ありがとうございます。


左右の足の長さの差も1cmまで縮まってきました
2010.11.27
久しぶりに更新します
ペルテス病の症状発覚から2年と9ヶ月になります。
順調に回復し、今では自転車はもちろん、水泳、持久走、短距離走・・・なんでも他の子と変わらず運動できます。スポーツ少年団ではバスケットに通っています。4年生にして初めて学校のスポーツテストを全項目受けて、結果A判定を貰いました。運動能力は今のところ何の問題も無いようです。たまにペルテスのメールを頂きます。本当にありがとうございます。私たちの知っている範囲で出来るだけ返信させて頂きますので、なにか聞きたいことなどありましたらお気軽にメール頂ければと思います。その際にはペルテスについてと題名に入れていただければ、迷惑メールとして削除される可能性が低くなりますので、よろしくお願い致します。


2011.1.6
完治
 2010年12月28日、久しぶりの通院。レントゲンを見て、先生が、「あ〜この子はもう治ったんだな〜」、治りました。「ペルテス体操止めていいですか?」の質問に、「ああ、もう止めていいよ」とのお返事。もう最高です。丸く美しい骨頭のレントゲンを記念撮影し、こうして素晴らしい結果をお土産にペルテスから卒業です。一応年に一回の経過観察という通院はありますが、右もなっちゃったとか無い限り、このまま問題なく日々が過ぎていく予定です。長い間お付き合いありがとうございました。メールを頂いたり、病院で声をかけて頂いたり、沢山の力を頂いたことを感謝し、この記録を終了したいと思います。なお、ご質問などは引き続きこちらの分かる範囲でメール対応させて頂きますので、なにかありましたらお気軽にメール頂ければと思います。有難うございました。
  上下の写真とも(向かって右がペルテス病だった骨頭部が)見事に再生しているのが分かりました。手術療法だと骨頭部が大きめに再生する傾向にあるといわれます。うちの子も大きく再生していますが(上の写真)、運動、外見とも何の支障もありません。
 しかし、骨切りした跡と思われる亀裂が僅かに残っていますが(下の写真)これも痛みや運動に支障をきたすものではなく時間とともに無くなってゆくものと思われます。
ペルテス病術後3年

ペルテス病術後3年
2012.1.30
定期通院
一年ぶりの通院です。レントゲンを撮りました。経過は良好で全く問題ないとのこと。それではこれで最後の通院かと思いきや「次は1年後」、やっぱり!・・・。中学生くらいまでは毎年レントゲンを撮って確認するというという情報もあります。(よく考えれば、個人的にもそうしたほうが良いと思います)

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2013.1.7 
定期通院 
今回も経過は良好で全く問題ないとのこと。 右足と左足の長さの差も、7.5mmと1cmを切ってきました。スポ少ではレギュラーでバリバリやっていますので、本当に全く問題ありません。
実は、今回は行かなくてもいいじゃないかと思いましたが、こうやって実際に確認していただくとやはり安心します。


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2016.1.7  
経過 
3年ぶりの更新です。
中3の息子が過去にペルテスだったことを思い出すこともなくなりました。親が羨むほど伸びた足は左右の差はもうありません。先日のクリスマスにガラス戸に映して身長を比べてみたところ、170cmの私(父親)をもう越していました。
ペルテス病発覚の当時は、治療後の足の動き、長さ、左右差、身長への影響、痛みなど心配していましたが、そのような問題は全くありませんでした。

 
 

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